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ビジネススクールではまだ主流ではないと思うが、人材育成に関するトピックに興味を持っていた。企業経営の巧拙にフォーカスをあてるビジネススクールでは仕方のないことかもしれないが、「個」の存在を重視する議論はあまりないように感じていた。せいぜいリーダーシップ論での「偉大なリーダー」としての「個」に光が当たるくらいだろうか。
組織のあり方はビジネスで結果を出す為の重要なテーマであることは事実だが、その組織を構成する「個」に視点がむかないことに違和感のようなものを感じていた(もちろん、まったく視点が向いていない訳ではないだろうが)。 当然、組織を構成する「個」には色々な人がいる。特に組織の規模が大きくなるほど「個」の多様性は増していくから、ビジネススクールでモデルとなるような企業でも様々な考え方をもった「個」がいるはずだ。素晴らしい組織だからといって、それを構成する「個」全てが素晴らしいとは限らないし、外から見るのと内から見るのとでは全く違った景色が見えることも往々にしてあるだろう。その辺は前職でも体感として持っていた。 20対80の法則で片付けてしまえば簡単だし、それで良いのかもしれないが、企業を構成する最小単位である「「個」の成長と企業の人材育成に関して少々思うところもあるので、尊敬する金井壽宏さんと中原淳さんの共著である『リフレクティブ・マネジャー 一流はつねに内省する (光文社新書)』を参考に考察してみたい。 同著の中で中井淳さんが「企業人材育成のあり方」と「働く大人の学びのあり方」のジレンマに悩むシーンがある。少し長いが引用する。 企業人材育成とは、究極のところ「企業の利潤追求のため」に存在する。経営という視点で見れば、人材育成は「経営資源」のひとつであり、成果を増大させるための手段である。企業人材育成の領域においては、働く大人として、どんなに洞察力があり、すぐれた気づきがえられたとしても、それが最終的に企業に利益をもたらさなければ、あまり意味をなさない。経営層や人材開発担当者の観点にたてば、企業人材育成とは、「将来にえられる利得」に対する「投資」であるからだ。むしろ、「気づき」は「企業の利益」のためにこそおこるべきである。企業の利益に結びつかない「気づき」は、経営のロジックからすれば、さして重要なものではない。 企業人として、企業の利潤最大化のために成長するとするならば、「いつの間にか、その会社風にものを考え」「社外の感覚、一般消費者の感覚など、さまざまなものを失っていく」だろう。だが、社外での活動にばかりフォーカスしていると、人間として成長できたとしても所属する企業にとって良いことになるとは限らない。むしろ企業としては、社外で学ぶことによる「自己成長」よりも、「低迷している既存の事業、既存の技術を改善してほしいと願い、そのための技術やスキルを獲得することを希望」するだろう。欧米と比して、日本企業によるMBA人材への評価の低さも、このあたりが影響しているのかもしれない。 しかし、「個」としての自分は、特定の企業に取っての「利潤最大化人材」としての成長」よりも、「人としての成長」を望むだろう。とりわけ、企業が「個」を守ってくれるという幻想が崩れ去った現代においてはこの傾向は顕著だと思う。だから、書店では自己啓発本が売れ、社会人ビジネススクールや各種資格学校の人気が急上昇しているのだ。 ノマドワークスタイルやフリーエージェント化が喧伝されているが、「個」であることの重要性は、実は企業の中にも存在する。別に起業しなくても、個人事業主でなくても、「個」としての成長なくして企業の中での存在は薄れていく一方だ。成長なき「個」は、80の中に入らざるを得ない。企業は自社の利益を最大化する20を作ろうとするだろうし、「個」は単なる「利潤最大化人材」に埋もれることのないように自身の成長を目指す。 中原さんの仰る通り、これらは微妙なバランスを取りつつコンフリクトするものだ。そのコンフリクトを解決する手段として、中原さんの提案する「第3の道」には非常に興味がある。 酒井穣さんから聞いた言葉の中で忘れらない物が2つある。その一つが「成長は最高のエンターテイメントである」というものだ(ちなみにもう一つは「未来は変えられる。過去も変えられる。その意思があれば」というもの)。中原さんの言う「第3の道」とは、何となく閉塞感を抱える「個」達の道標になるような気がしている。 最後に中原さんが同著で引用しているフィッツジェラルドの素敵な言葉を引用したい(そういえば、私の大学の卒論はフィッツジェラルドだった笑)。 The test of a first-rate intelligence is the ability to hold two opposed ideas in the mind at the same time, and still retain the ability to function. (優れた知性とは、二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能をどちらも充分に発揮させることができる、ということだ)
by EM-LYON
| 2010-09-06 23:30
| MBA
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