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前の職場にいた時に、会社に対する不満ばかりを主張する部下がいた。彼に対し私は、「会社に限らないけど、組織や社会に対して不満がある場合取りうる選択肢は3つしかない」と発言した。その3つとは「(我慢して)留まるか、自らの力で(組織や社会を)変えるか、離脱するか」。
これは今でも間違っているとは思わないが、リチャード・フロリダの「クリエイティブ都市論―創造性は居心地のよい場所を求める」の中に興味深いメッセージがある。本著の中でフロリダは政治経済学者アルバート・O・ハーシュマンの『離脱・発言・忠誠 - 企業・組織・国家における衰退の反応』の中から以下の考え方を紹介している。 「(ハーシュマンは)私たちは満足のいかない状況に直面すると、不満であることを「発言」するか、または「離脱」するかのどちらかを行うと主張している。「忠誠」の思いが強ければ強いほど、私たちは前者の行動を取る傾向がある」 私はかつての部下に愚痴を言う(不満であることを発言)のではなく、「我慢するか」「変えるか」「離脱するか」の中から選択すべきと主張した。一方ハーシュマンは「不満であることを発言するか」「離脱するか」のどちらかを行うのだとしている。これは、「不満であることを発言する」には2つの場合があるということだ。 一つ目は現状に不満はあるが変えることも離脱することもできないと考え、置かれた状況に我慢しつつ不満であることを発言する場合。これはいわゆる「愚痴」で、居酒屋などで上司や会社の愚痴をいうサラリーマン像というステレオタイプな例をイメージするとしっくりくる。「愚痴」には実害はなく(本当はあるんだけど)、万が一上司が部下の愚痴を耳にしても、苦笑いですますことができる場合が多いだろう。ただし、この「発言」には、イメージするだけでもあまり幸福感を感じさせる印象はない。 二つ目は現状を変えようとして「不満であることを発言」する場合だ。この場合の「発言」は居酒屋での愚痴とは違い、組織や社会が現状維持を目的としている場合「害」になる可能性がある。現状維持を目的とする者にとって、現状を変更しようとする「発言」は脅威となり、「追放」へのインセンティブが働く。つまり現状を変えようとする「発言」は結果として「離脱」のリスクをはらんだものとなっているのだ。変えようとする試みが失敗に終わった場合に「離脱」を余儀なくされる可能性がありつつ、現状を変えようとして「不満であることを発言」する理由として、その組織や社会への「忠誠」が根底にあるというハーシュマンの考えはわかりやすい。「忠誠」がなければ、「不満であることを発言」せずに「離脱」すれば良いだけだからである。また、「離脱」のリスクを負いたくない場合(「離脱」すれば生きていけないと考えた場合とか)は、愚痴に止めておくのが最良の選択となる。フロリダは、人が感じる「幸福度」と住む場所の相関関係に着目し、ある場所から移動すべきかどうかに関して以下のように発言している。 「私たちが本来の能力を発揮して幸福を見出すには、場所の重要性を認識し、選択肢を正しく比較検討して、必要とあれば移動する覚悟を持つべきだ」
by EM-LYON
| 2011-11-26 11:25
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